なが茶話

ときどき書きます。

免許更新タイムアタック

免許証を更新した。運転免許だ。医師免許ではない。約5年間の無事故無違反を達成し、初めてゴールド免許を手にした。ゴールド免許といっても、運転技術に長けているわけでもない。この数年間、ほとんど車の運転をしていないというだけだ。


車は便利だし、ドライブは愉快だ。だが、できることなら車の運転はしないで済ませたい。年に3500人以上の無辜の人々を殺め、その百何十倍という人々を傷つけている機械を、自分だけが完璧にコントロールできるなんてことがあるだろうか。運転をしない選択に「優良」のお墨付きが与えられたのだ。


運転免許証の更新手続は平日の日中に受付時間が設定されている。夜間に活動する吸血鬼や毎日が日曜日のおジャ魔女などには酷な制度だが、平日に勤務する私にとっても不便だ。自由になる時間は、昼休みの1時間のみである。いつもは時間を持て余して近所をふらつき横断歩道の白線の本数を数えたりしているが、免許更新となると1時間では心もとない。昼休みが8時間の企業に就職しておくべきだった。


勤務先から最寄りの手続場所までは片道およそ30分。講習が30分、視力検査や写真撮影などの時間を30分と考えると、復路をマイナス30分で帰れば間に合う計算だ。ドク・エメット・ブラウンの息子として有名なジュール・ヴェルヌは、「人間に想像できることは必ず実現できる」と言ったという。マイナス30分で帰社する情景は想像できないが、裏は真とは限らないので、これはやってみなければわからない。


Google Mapのお導きに従い30分かけて免許更新センターへたどり着くと、館内はかなりすいていて、スピード更新に期待がもてた。各手続きは窓口に吊り下げられた番号の順に手際よく進み、その能率のよさに快感すら覚えた。これらの番号は作り付けられたものではなく、コピー用紙に印刷したものをラミネート加工し、養生テープで壁面に貼り付けただけのものらしい。現場の誰かが音頭をとって、なるべく効率よく手続きが進むよう工夫した結果だろう。私はこのような無名の人の努力に敬意を表する。写真撮影までは15分とかからず、講習もきっちり30分で終わった。よし、帰るぞ。


結局、職場に戻ったとき、出発から1時間45分が経過していた。幸い、私は職場で信頼を得ているため、昼休み時間を超過して留守にしていたとは思われていないようだった。おそらく8時間の昼休みをとっても気付かれないだろう。私の在不在なぞ誰も気にしていない。それほど信頼されているのである。

 

デスクに腰を落ち着けて、新しくなった免許証の写真を見てみた。目はうつろで、笑みもなく、じつに存在感のない顔をしている。免許証の写真は悪く写るものと決まっているから、本来の私はこれよりいい顔をしているはずだ。トイレで鏡を見てみると、目はうつろで、生気がない。ドライブでもして気を晴らしたいものだ。

風邪とインフルエンザ

12日、午前4時。寒い。悪寒である。心臓が凍りついたかのように冷える。真実の愛か投薬でないとこの氷は溶けないように思われた。体温計は38度5分を示している。風呂だったらぬるいが、私は風呂ではない。翌日には39度まで上がってしまった。


13日の夜には妻も39度の熱を出した。妻は年末から風邪を引いていて、ようやく治りきったかというタイミングだったため、その落胆は想像するに余りある。「うつしてごめんよ」と謝るが、それで気が済むはずもない。


15日、子を保育園に預け、夫婦で近所の内科を受診した。当然インフルエンザが疑われ、鼻に綿棒を突っ込まれる。もし親友が綿棒で鼻の奥を何度も突いてきたら絶交もあり得るのに、赤の他人である医師に同じことをされてもまったく平気だから不思議なものである。


「検査の結果、インフルエンザではありませんでした」
「ただの風邪ですか」
「はい」
そうか、それなら午後からでも出社するかと思った次の瞬間、
「奥さんはインフルエンザでした」
と言われた。
「え、じゃあ私からうつったわけではないんですか」
「そうですね」
真っ先にこんな当たり前のことを聞いたのは、今にして思えば、妻の発病が自分の責任ではないことを国家資格保持者に明言してもらいたかったからに他ならない。浅ましい。涙が出るほど浅ましい。
「綺麗に出てますねえ」
その国家資格保持者は、検査キットにくっきり現れた陽性を示す桃色のラインを、完璧に仕上げたマニキュアを眺めるようにしげしげと観察していた。


僕の熱は微熱にまで下がってはいたが、喉は毛虫が住んでいるのかと思うほど痛かったし、大事をとって仕事は休むことにした。妻を寝室に隔離しリビングで寝ていると、保育園から電話がかかってきた。保育園から「お子さんは元気に遊んでいますよ!」という電話がわざわざかかってくることはない。あ、こりゃ熱だ。


「お昼寝の後は普通だったんですけど、さっき急に38度の熱が出ちゃって」
僕は知っているのじゃ。急に熱が出るやつはインフルエンザなのじゃよ。喉に飼っている毛虫とともに子を迎えに行き、そのまま小児科へ直行。発熱直後はうまく検査ができないとのことで、ひとまず解熱剤が処方され、また翌日診てもらうことになった。


果たして子もインフルエンザだった。知ってたよ。12日から20日までの9連休の完成がここで確定した。トルコ旅行くらいなら軽く行ける日数を部屋にこもりきりというのはつらい。子もまだ小さくて目が離せず、読書やゲームができるわけでもない。だがまあ、やるしか選択肢はないのだ。


その後の出来事に特筆すべき事項はない。洗濯をし、食事をこしらえ、子に飯を食わせ、皿を洗い、床を掃除し、風呂を沸かし、子を風呂に入れ、子を寝かす、その繰り返しである。子の目を盗んで本を読む技術は少々鍛えられたが、つい隙を見せてしまい帯とカバーをビリビリに破られた。子は紙を破壊する行為に喜びを見出していたので、まあよしとする。


妻子の熱もようやく下がり、私の喉の毛虫も蚊レベルに弱体化しているので、週末は多少おだやかに過ごせるだろう。本のカバーをセロテープで補修するくらいの余裕はありそうだ。

伊達巻き

三日坊主ということばがある。ツーブロックなどの洒落た髪型に変えたところで、すぐ似合わないと悟って結局三日目には坊主に剃ってしまうということから、柄でもないことはするなと戒めたことわざだ。この日記も三日坊主にならないよう心がけたい。


伊達巻きを作った。正月だからである。クリスマスや勤労感謝の日文化財防火デーなどに作ってもよいが、正月に摂食するのが習わしになっている。メニューを考えるコストを省くことができるため、こういう無害な習わしはありがたい。


伊達巻きを作るには、白身魚をすり身にし、卵と調味料を混ぜ合わせる必要がある。菜箸でちょいちょいというわけにはいかない。証拠隠滅くらいの気持ちで徹底的に混ぜる。伝統的にはすり鉢を使うが、すると何十分もかかることになる。すり鉢で伊達巻きを作った人たちからとったアンケート(有効回答数1)によると、すり鉢を用いるのは「だるい」という感想が100%だ。


ここでフードプロセッサーが活躍する。以前証拠隠滅用に購入したものだが、伊達巻きにも使える。参照したレシピには「ダマになるのでフードプロセッサーは使わないほうがよい」と書いてあったが、だるくなるのですり鉢は使わないほうがよいとも言える。あと手首も痛い。レシピは捨てた。


材料を混ぜさえすればあとは焼いて丸めて冷ますだけなので簡単だ。簀巻きにしてさあ固定しようと思ったら輪ゴムがない。うっかりアツアツの伊達巻きをくるんだ巻き簀を持ったまま輪ゴムを探索しに部屋をうろついてしまった。


伊達巻きにはものすごい量の砂糖が入っている。伊達巻きから魚とみりんと酒と醤油を除いて牛乳を足したらプリンだ。左手の伊達巻きからは液化した砂糖がポタポタと床に垂れていた。ヘンゼルとグレーテルだったらこの跡をたどってお家に帰るところである。さっさと伊達巻きを冷蔵庫にぶち込み、床の砂糖汁を拭いた。腰が痛い。


伊達巻きはじゅうぶん美味しくできた。すり鉢を使うとさらに美味しくなるものだろうか。